運び屋 The mule
『運び屋』を見た。
冒頭、デイリリーを栽培する主人公と、それを気前よく女性に配るシーンから始まる。成功と挫折。
それは仕事としてというよりも、家庭生活のだらしなさを露骨に且つ明瞭に描いた映画、これがこの映画だったのだ。
その意味で家族に対する贖罪がクリント・イーストウッドの狙いだろう。実の娘が、実の娘としてと出演していて、自分の結婚式にも来ない父親と断然、そして和解が描かれる。
淡々と描かれるこの映画は、最後の裁判所で自らの罪を認めて刑務所に入り、再びデイリリーの栽培をするシーンで終わる。
思えば彼の映画人生は長い道のりだ。大きな転換期としては『マディソン郡の橋』と『許されざる者』だろう。イーストウッドタッチとはハリウッドの目まぐるしくうるさい映画へのアンチテーゼだ。この淡々とした静かな映画、それは古き良き時代の日本映画のような佇まいこそが、イーストウッドタッチ。
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