「生きる」   ”ショーケンの死に思う”

♬命短し恋せよ乙女♫
人は産まれた瞬間から”死”に向かっている。

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黒澤明監督の『生きる』という映画の価値と意味は永遠で普遍的だ。
布団に横たわって死人のまま生きるか、命がけで懸命に生きるか?

1、孫がベッドに頭をぶつけて結構大きな傷(というか穴)になっている写真が届いたが、今朝電話で話したら元気だった。
2、会社で長期にお休みしていた女性が復帰したら、とても元気そうだった。
3、杉並で押し込み強盗に若い女性が殺された。
4、松橋事件(熊本)で冤罪が認められた。(このご本人の涙にはもらい泣きした。)

この流れの中にショーケンの死が夜中に報道された。
同級生からメールで悼む内容の知らせを受け、「ああ、自分も確実に”死”へ向かっているなぁ・・・」などと思う。
しょうもないことにそう思う。


それは現代の日本人のほとんどが多かれ少なかれ感じていることではないか。

「この国に未来はない。」

生きていても楽しくない。お金もない。何もできない。外出することすらできない。中高年ひきこもりが増えているくとなおさら我が身の明日を案じてしまう。

そんな国で長生きするのは医者と製薬会社を儲けさせるだけだ。
竹原ピストルは「薬漬けでも生きろ」というけれど、死にゆく年寄りに薬はもったいないよ。


ショーケンですら11年の闘病生活で相当な医療費を負担したことだろう。
11年前、それは今の自分の年に近い。
今もし自分がそうなったら、あと11年、ショーケンのように生きることはできないだろう。

というか生きたくない。死なせてほしいと思う。自分以外の人たちに迷惑だと思うから。





町山智浩さんが萩原健一さんのことをラジオで丁寧に解説していた。
『太陽にほえろ』でそれまでの刑事像から離れて弱い刑事、ネクタイをしない刑事、マザコンの刑事を演じたことが画期的だった。
その弱さが『傷だらけの天使』へ向かい、究極はまじめなマザコンの職人を演じた『前略 おふくろ様』に行く。
そしてショーケンのプライベートで、ドラッグなどの犯罪行為と離婚を繰り返す。
そうした生きざまは、弱さの反動なのかもしれない。
強がりな人生。


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