韓国映画の素晴らしさ
政治の話題にで半島の国とのいさかいが続いているようで、そういう報道と文化やグルメなど民間人レベルの心理を冷え込ませるような偏りは勘弁してほしいと思う。いいかげんにしてほしい。
長者町地下街 : dalichoko
そんな中、今年接した3本の韓国映画を見る限り、映画の世界では間違いなく韓国が日本のずっと先を走っているように思えた。
まずは村上春樹の原作を映画化した『バーニング』。イ・チャンドンの意識の高さと芸術性をたっぷり感じさせる名作だった。もともと彼は民族主義者ではなく、社会の弱者に目を向ける誠実な人だ。それがこの映画で、貧しい若者が接したまぼろしのような美しい女性と、セレブの男を対比させて表現している。里山の夕日を背景に踊るユ・スアンがとにかく素晴らしかった。
そして『1987、ある闘いの真実』
これもまた素晴らしい映画だった。韓国軍事政権下の学生運動が生々しく描かれる。当時、1987年、日本で報じられる全斗煥大統領に関するニュースの裏側で、こうした苛烈で残酷な戦いが存在したことすら知らなかった。大島渚の『青春残酷物語』などに示される日本の安保闘争や中国の天安門事件に匹敵する、あるいはそれ以上の厳しい戦いの存在を学ぶ。こうした闘いを貫徹する彼らに、今の日本人はかなうまい。
最後に『新感染 ファイナル・エクスプレス』
これはつい最近見たのだが、たんなるゾンビ映画だと思いきや、とんでもなく哲学的な映画であった。ゾンビの表現も想像を絶しており、おびただしい数のゾンビが列車につかまりぞろぞろと次から次へとつらななるシーンは、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を連想させる。この映画では明確に芥川龍之介に言及しているか定かでないが、この状態こそ、韓国も日本も認識を新たにすべきテーマなのではないか。
反面、日本映画に見るべき映画は残念ながら、、、、ない。
こうした民族的で宗教や哲学をしっかりしたベースに持つ韓国映画は日本のずっとずっと先を行っているように思う。
いや、映画のレベルでもう日本は韓国に近づくことすらできないだろう。
ハリウッドのマーケットも中国にクライアントを求め、日本はもはや自国内にすら客先を失い、その観客が映画を見る力を失っている。
日本は作り手も見る側ももう中身を喪失している。
こうした一連の素晴らしい韓国映画が、日本で高く評価されていることをせめてもの期待としたい。
それにしてもいったい政治家は何をしているのか。
いいかげんにせい!
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