「昭和な職場」、年金70歳支給。

鶴光太郎教授の本を一度読んだ。日経の記事で「人生100年」というタイトルを読んで「性格スキル」という本に接した。面白かった。
年老いて会社に雇ってもらいたければ真面目で素直に過ごすのがいい、という風に捻じ曲げて解釈してしまったが、いずれにしてもアカデミックな読みやすい本であった。
 そして今朝「昭和な職場」についての記事で鶴先生のコメントがあった。


「昭和な職場」と低成長 デジタル化が日本の弱点 論説委員長 原田 亮介  核心 2019/7/8  (一部略)

大企業の正社員に共通する雇用システムを、慶応大の鶴光太郎教授の分析にそって振り返ってみよう。特徴は長期雇用(終身雇用)と、実質的に後払いの年功賃金、ゆっくりした昇進の3つだ。「昭和な職場」が高度成長を支え、しゃにむに社員を働かせる仕組みとしてよく機能した。
それが平成になってバブル崩壊やリーマン・ショックなどが続き、変質した。
(略)
結果は生産性の低迷である。日本総合研究所の山田久理事の分析では、00~17年の日本の時間当たりの労働生産性の伸び(付加価値ベース、年率)は0.4%にとどまる。米独も下がったが日本ほどではない。
語学力62位、経営幹部の国際経験63位、デジタルスキル60位、データ活用力63位――スイスの有力ビジネススクール、IMDがつくる19年版の競争力ランキングだ。日本は1990年前後に1位だった総合順位が30位まで下がった。対象63カ国の最下位近辺なのはグローバル化とデジタル化に関連する項目が多い。
生産性の伸び.jpg
(略)
若手には「昭和な職場」に見切りをつける動きが広がっている。東大・京大の21年春の新卒予定者の就職人気ランキング上位には、コンサルティング会社がずらりと並ぶ(就職情報サービスのワンキャリアの調査)。定年までの「生活保障」でなく、キャリア形成を重視する動きだ。
複雑に絡み合う雇用システムをどう作り直せばいいか。鶴教授は正社員の「複線化」を進めるべきだと訴える。
30代あたりで、例えばどの分野で専門家になるか選べるようにする。職務や勤務地、勤務時間を限定する「限定正社員」を幅広く認めれば、転職や中途採用も容易になる。限定正社員は、一般の正社員に比べ待遇が一段低く扱われがちだが、デジタル技術などのスキルがあれば、それを見直すこともできるだろう。
鶴氏は「80年代まで日本は諸外国に追いつき追い越せでよかった。90年代以降は全く新しいモノを生み出さなければならなくなった。同質の人材の組織ではそれが難しい」と話す。
雇用システムを柔軟に作り替え、目指すべきはイノベーションだろう。吉川洋立正大学長は「経営者がリスクを取っていかないとイノベーションは生まれない」と話す。
同氏が引くのはシュンペーターの「資本主義、社会主義、民主主義」の一節だ。「経営者は官僚機構で働くサラリーマンの心理を身につける。その闘争心、執着心は、(会社の)所有と所有に伴う責任を身をもって知る人間のそれと同じはずがない」
起業家精神にあふれる経営者が生まれるのも、新しく生まれる「令和な職場」からではないだろうか。

 これはつまり、世界中で生産性の伸びが鈍化している、という傾向の中で、日本がその中でも極めて低いという意味のようだ。
 デジタル化で生産性を向上させても限界効用が見えてきたということであろうか?
 ところがである、少し前の日経「核心」にこんな記事もあった。


年金は天から降ってこない 罪作りな「100年安心」 上級論説委員 大林 尚 核心2019/6/24

罪作りなキャッチコピーだと今更ながらに思う。「100年安心」である。
小泉政権の2004年、国会は厚生労働省の年金改革法案を審議していた。それまでは、人口や経済の将来推計をもとに5年に1度ほどのペースで法改正していたが、最後の大改革と銘打った04年改革法案は「大きな手直しはもう必要ない」を売りにした。
「軽薄なコピーは国民の心理に首相がいかに鈍感だったかを証明する」(同7月18日「中外時評」)
数年先でさえ見通すのに難儀する時代だ。1世紀後の高齢者に、あの厚労省が安心を約束できるはずもない。しかし04年改革法にはみるべき点があった。(1)高齢者の寿命が延び(2)少子化で現役世代が激減し(3)経済成長が鈍化する――。3つの逆風が年金に吹きつけるなかでも、負担と給付をマクロ面から均衡させる仕組みを編み出したことだ。
マクロ経済スライドである。官僚言葉は理解しにくいのが常だが、意味の不明さでこのネーミングに勝る造語は、そうはない。平易に、はしょって言えばこうなる。「年金の給付水準は現役世代の賃金や消費者物価の動きに連動させるのが基本だが、賃金・物価の上昇率より年金の上昇率を低く抑える仕組み」
どれだけ抑えるかは、平均余命の伸びや現役人口の減り具合をもとに、収支が釣り合うように決める。入るを量りて出ずるを制すである。
年金改革.jpg
(略)
1999年のスウェーデン年金改革は、与野党各党の党首級が自らパソコンを持ち込み、新しい年金のかたちを詰めた。政権交代があっても改革が棚上げになることはなかった。日本はどうか。7議員提言の翌09年、衆院選に大勝した鳩山民主党政権は野党自民党との年金協議を拒んだ。
(略)
安倍氏が首相として戦う4度目の参院選が迫った今、ほうはいとして起こったのが金融審議会の市場ワーキング・グループ報告書をめぐる騒動である。「高齢夫婦は30年間に貯蓄を2000万円、取り崩す必要がある」という趣旨の記述が、またもや野党を勢いづかせている。100年安心は嘘だったのかと。
年金は天からは降ってこない。保険料と消費税。ともに限りある財源だ。年金制度そのものを強くしようとすればするほど、多くの高齢者にとっては暮らしを年金だけに頼るのが難しくなる。その不都合な真実をあっけらかんと語ったのが、金融審だった。
100歳まで安心できる年金ではなかったのか、などという野党の論点すり替えは聞くに堪えない。安倍政権も、人生100年というなら、いっそ70歳からの支給開始を求めてはどうか。若者を含めて被る痛手は小さくなかろう。それでも、遠い将来の世代にはきっと感謝される。

 ということで益々中途半端な世代を締め付けるようは話である。
 自分も金のない老人の追い込まれることは明らかだ。金がないから何もできない。紋々と自宅でテレビを見ながら過ごすだけだ。
 生きている価値のない人間になることがわかっていながら、70歳まで長生きする必要があるのだろうか?
 死んだほうがマシと思わせる記事ばかりだ。
 希望も夢もなにもない。




この記事へのコメント