「残念ながら成長産業だ」 緒方貞子さん逝く

緒方貞子さんが亡くなった。
92歳。曾祖父に犬養毅をもつ。その血筋にブレはないようだ。緒方さんが色々なところに出向かれた現場主義者だったことはよく知られる。そして難民とは、貧困の生み出す社会のジレンマである。世界人口は増加し、比例して難民も増える。世界は保護主義へハンドルを切り、難民や移民の行き着く希望の地はどこにもない。
21499A65-7207-41E3-BDD0-DE76F1B3E68A.jpg難民高等弁務官に選ばれたときの言葉が「難民問題が成長産業」と比喩されるほど誰もがこれを止められない。
現場主義者の緒方さんには、これらの根本原因がわかっていたはずだ。しかしわかっていても実現できないことの方が多い。それでも彼女はこの問題に立ち向かった世界で初めての女性弁務官である。”世界で初めての・・・”などという枕詞は彼女に似合わない。そして彼女もこんな陳腐な代名詞を好まなかったはずだ。彼女の実績や立場以上に世界は今もこれからももがき苦しむ。
1972E6FC-1FC7-4BF3-B0AC-0217FB6E585B.jpg以下、日経「春秋」より

夕食前にはスコッチ。水割りでちょっと飲んだら、食中酒はワインか日本酒。あとはジントニックも……。緒方貞子さんが晩年、朝日新聞のインタビューで私生活を語っている。「何か飲まないと食事にならないもの」。自然に身についた米国流のひとつだったらしい。

▼名門の出身である。曽祖父が五・一五事件で凶弾に倒れた首相の犬養毅、父親は外交官だった。それで幼少時からサンフランシスコで暮らし、戦後も米国に留学している。こう書けばお高くとまったセレブっぽいが、国連難民高等弁務官時代の徹底した現場主義と行動力は世界の目を見張らせた。孤軍奮闘は10年に及んだ。

▼リベラリズムとリアリズム、冷静と情熱をともに備えた稀有(けう)な人であったろう。学究生活を送りつつ、国連の場で人権を守る仕事を地道に続けていた時期もある。日本よりも海外で名が知られていたのだ。のちに小泉純一郎政権で外相就任を懇請されたが辞退した。日本型組織の不自由さを悟ってのことだったに違いない。

▼思索と行動の、その人が亡くなった。難民高等弁務官に選ばれたとき、周囲から「残念ながらあなたの仕事は成長産業だ」と言われて奮い立ったという。なのに不条理はいまも「成長」を続けている。かつて緒方さんの視野を開いた米国も、世論の分断に苦しむ始末だ。この星は天上から、どんなふうに見えているだろう。

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